2010-01-31

FREE 議論!!!

昨日、ある講習会のお手伝いをしました。

そこでは、お医者さん達が、近いうち行なわれる試験が公平に行なわれるよう評価基準を確認しあう、といったものだったんだけど、

試験内容も様々だから、それぞれの試験に関する基準を確認しあうということで、
一グループあたり10人くらいだったかな、ぐらいに分かれて
けっこうああだ、こうだ、これはいい、これはどうなのか、
などなど、と話し合いが進んでた。


試験官みんなで確認しあうってことだったけど、
やっぱり話しているのは年配の人が多いかな。
そして座長に年齢の近い人。

若い、若いといっても30代半ばくらいの先生方はあまり話してなかったな。

まぁ日本らしいかな。

でも集まって話し合うってのは、全員が参加することに意義がある。

参加しなかったら集まる意味ないもんね。
意見は、年齢、経験に裏打ちされることが多いから
経験のある人、権威のある人の意見は当然通りやすい。

でも発言権は対等にあるべき。

地位とか、役職とかに関係なく。
話し合いの場では、それが共通の認識であるべき。



議論が苦手な日本人


この形容詞、いつまでついてまわるのかな。

2010-01-29

たまには声を思い出してあげてください。

僕は、声が大きいそうです。
『そう』ではなく、大きいです。でも、大抵忘れたころに思い出すんだよね。
今日は英語仲間の友達から。

なんでだろうって思ったら、
前にスイミングでバイトしてたことがあったからだ!
プールは水があって通りにくい!


でも、バイトする前からたまに言われてたことがあるんだよなー。
中学、いや小学校のときもあったかな。

単純に考えて生まれつきだってこともあるけれど、
生まれつきじゃない気がするんだよね。

思い当たるのは、日本の小学校に転校するまえにドイツで暮らしてたことがあること。
親にいうと、そんなことは絶対ないっていうけど、
ここ大きいと思うんだよね。
向こうは日本に比べて、リアクション大きいし、もちろん声も大きい。
自己主張の国だからね。

夏にドイツ旅行から帰ってきたときにも思ったもんな、
日本ってなんか静かだなぁ。って。

そんな環境に3年間もいたから、自分を見て見て!!グセ
がついてしまったんだと。

でも、帰国子女が、よく帰国子女だから仕方ないって受け入れられているように
海外生活で身についてしまったクセというものは仕方ないでしょ?

 って


こうやっていつも自己完結しちゃうんだよね。
郷に入っては郷に従え。
日本にいるんだからちょっとはあわせなきゃね。。

2010-01-26

出典不明ですが。

『教育とは国家百年の計』


この言葉は『真』である、と思ってる。

だから、
医学教育ってすごく大事なことだと思います。

2010-01-24

THE 新潟白書

最近、一晩で


















この通りに!!



















最初は雪国のイメージの強い新潟の来たナ!!って感じがあって、
『おっ、雪つもってんじゃーん。』

と、テンション高め。
(新潟に来たからには、やっぱ毎日のように雪の中、学校に通うことをしてみたかった!)
しかし、早くも、
あったかいことには越したことがないなって、

あと5年もあるんだっと、少しため息が。

『人間は習慣の生き物である。』
というように、この天気が習慣のようになればなんとも思わなくなる。
毎日ご飯を食べるように、
習慣とはそういうもの。

その環境に適応していって、その人にとってはなんとも思わなくなる。
逆に、なんとも思わないうちにその人の習慣となっていることもあるよなーって。

生活習慣病はまさにそう。
気づいたら罹っている。

これを減らしていくには、その人がその習慣を身につけないようにするための
環境作りからだと思うんだよね。

だけど、この環境作りってのは、普段の食生活一つとってもわかるように、
当然医者だけでは無理なお話なんだよねー。。。

2010-01-21

いまどきの英語事情

4月から英語をしゃべれるようにしよう、と。
英会話をやっているのだけれど、

なんだか最近、
英語は英語。
日本語は日本語。

って言われるわけが、ちょっとわかってきた。



英語には日本語にはない発音があるわけだし、日本語ではつたえにくいニュアンスを伝える表現がたくさんある。

基礎の文法とか、簡単な単語はやろうと思えば、どこでもできるけど、
この場面では、こういう表現がピッタリだってのは
実際のコミュニケーションで学べる。

というか、なんか表現が身体にしみこんでくれるんだよね。
コミュニケーションを通して学ぶと。

日本語ではなんていうの?ってすぐ考えちゃうけど、
英語を英語として聞いて理解する。

これにつきる。

なんとなくだけど、
もうちょっとでたどりつける気がするから、


英語、続けます。

2010-01-19

センセーショナルな報道と僕

ゴット・ハンド、スーパードクター、天才外科医・・・・・
メディアの口癖だ。そして、、、僕の目を引く言葉だ。

こんなふうになりたいと思う。
いや、なりたいけどこんなふうに紹介されていいものか。
そもそもこれを目指して、仕事をしていくのか。

こういうふうに報道されると、
現代医学が万能である
という考えを、多くの人が持ってしまう可能性がある。

医者も人間であるから、
できることとできないことがある 。

生死を目の前にして、どんな医者もできるといいたい。
しかし、できないといわなければならないときもある。
医者にとって、できないと言うほうが精神的にこたえます。

だとしたら、できないといいにくくするセンセーショナルな報道は
医療に貢献しているのでしょうか?

それについ目がいってしまう自分も・・・・なんだかなぁ。

2010-01-17

本ってやっぱりいいなぁ。

いい本に出会っちゃった。

『アメリカ臨床医物語』っていう本で、
著者である中田力という先生が、自身の体験を踏まえて、日本の医療をより良いものにするための提言をしてます。

自分に足りないもの、現場の厳しさ、プロの自覚とは、日本社会の問題点、などが書いてあり、
考えるヒントたくさんもらいました。

読んで、どんな医者になったとしても忘れちゃいけないなって思えたことは

医学は人びとの幸せのためにあり、医療はその実践である。
です。


医学と医療を、あまり区別して考える習慣のなかった自分には心に響く言葉でした。

じゃぁ、どんな医療をしていきたいか?
今日から、この問いに対するアンテナをはります。

Black Jack 自身は、どんな医療をしているんだろうか?

もっかい読み直してみよーっと。

2010-01-14

Did you know?

下の動画を見てください。

http://www.youtube.com/watch?v=cMxkYXdIT0c&feature=related









こういうこと考えるの、僕は好きです。




普段、なかなか話題にしにくいけど、

こういうこと今よりちょっとオープンに話せられたら、

もっと有意義な時間が持てるんだろうなー。


議論って意外とおもしろいですよ~!

2010-01-12

センター試験からの遺言

去年、センター試験10日前に風をひいっちゃたんだ。
原因は、前日に気合いを入れるために泳ぎにいったこと。(水泳は趣味です。)

完全にうらめっちゃったね。

ひいた日はもうへこみまくり。中・高と無欠席だったのに。
家族に八つ当たりも、少々。

情けない。もう大人なのに、と思いながらも止められず。


行動したあとに気づきます。
自分の欠点とか、くせとか、よくやる失敗とか、
僕は、よくおでこを手のひらでペシッとたたきながら、あぁまたやっちゃった、とため息です。
すぐに心の中で反省会です。

ですが、反省会・・・減ってるのか増えてるのか。
だから、今年はというか、今日からカレンダーでも使って統計学的に、やってこうと思う!
カイゼンだ、カイゼンだ、

TOYOTAになんか負けないもんね。

2010-01-10

そこを考えよう!

失敗を恐れない。その失敗から学ぶことが大事だ、と。
普段、けっこうなんでもうまくやってやろうと考えがち。


こんな言葉を思い出した。
成功の反対は失敗ではない。
チャレンジしないことだ。

うーむ、納得。
なんだか失敗を恐れず行動するってことヒントになりそう。

多くの人にとってこれは当たり前のことかもしれない。
だから目を引くような言葉ではないのかもしれない。

チャレンジするのが難しいんだよ~
僕もそう思います。

ただ、難しいことだからといって関心をもたなくなり、
関心をもたないままそこで終わらせるのではなく、
どうしたらチャレンジできるようになるのか。

そこを考えてこそ、『らしさ』が出て、目標にも近づけるのでは?と、思います。

2010-01-08

どうにもならないこともあるさ。

『或る抵抗』という映画の中での
マーロン・ブランドのセリフを、ふと思い出したんだ。

「神よ、不可能を可能ならしむる力を与えたまえ。
神よ、不可能を不可能として、諦める勇気を与えたまえ。
この違いを見わける知恵を与えたまえ。」

二つ目のセリフがいいっ!
もっとドライに生きたいとよく思う僕は、これに魅かれてしまう。

なりたい自分になる上で、どうしても不可能なことはある。
そんな時は不可能なことは不可能として、受け止める。別になりたい自分を諦めるわけではない。
割り切る部分は割り切って、違うところで自分のできることをする。

要するに心の中でバランスを取ることが大事なのかな。簡単じゃあないけれども。


でも・・・


なんだかんだいって、不可能なことを可能にしたいって思っていたり。
だからセリフの中の二つ目が、僕に問いかけているのかも。

希望と現実を混同しないように。希望を捨てるつもりはありませんが。

2010-01-06

まずは自分から。

日本の大学は入るのが難しく、出るのは簡単である。
このことはどの大学生も知っていること。


先日、友人と教育問題についてすこし話す機会がありました。
僕は入ってからどういうことを学んだかが、大事かがこの年(23才)になりやっとわかり、現状の教育システムには違和感を感じています。
彼らも、入ってしまえばこっちのもんだ!がまかり通る現状があまりよくないことに気づいています。


違和感を何か感じているのであれば、まずは自分から。
話しているときはすぐにこのことにたどり着けませんでしたが、

ここから始まると思っています。

教育つながりで、医学教育。

日本の医学教育は欧米に10年は遅れていると言われています。
僕自身、その原因はシステムを作った側にあると考えていました。

しかし、友人との会話がきっかけで気づけました。


よりよい医学教育になるように、自分自身の違和感を大事に、そして行動。

まずは自分からです。

2010-01-04

正論とは?

あることに対して、それは正しくないということはなかなか勇気がいるものです。


例えば、上司の意見が間違っているとします。

それに対して立場の弱い部下は、上司にその意見が間違っているとはなかなか言えません。

僕自身、日本の社会は、立場の上のものに意見をいいやすい社会だとは思っていません。

特に、狭い社会と言われている業界ではそれは顕著でしょう。


しかし、上司、もしくはリーダー的な存在の方向性が正しくなく、それによって弊害が出ていると感じた場合、部下もしくは若い社会人はどう行動するのがbetterか?

僕自身が思うに、若者は意見を述べると、

・まだ若いからねぇ、
  (若いからってなんだよ、どんなに頑張ったって年は変えられないんだってばってのがホンネです。。)

・それは正論なんだけど、この世界では通用しないよ、
・それは正しいんだけど、ちょっと違うんだよね、


といった反応が多い。


こう言われると正しさというものに疑問をもってしまう。

正論だけれど通用しない、正しいのにちょっと違う、
ってことは、そもそも正論ではないんじゃ?

そして、
こうやって僕自身、疑問を持ってしまうってことは、
僕の意見にまだ何か足りない部分があったりするのかな、とも思います。



そうすると、僕個人ができることは、
さまざまな人とコミュニケーションをとったり、
書物を介して対話したり、
言葉では表現されない芸術、音楽にふれたりして、

世の中、社会をもっと理解していくことです。


そうすれば、自分の意見に自信をもって行動していける、と思います。


人生一生勉強、

小学生のときによく聴いた言葉をふと思い出しました。

2010-01-02

明けましておめでとうございます。

2010年明けましたね。Sumolovers です。
今年もよろしくお願いします。


blogを始めよう、と昨年の秋あたりからずっと思っていました。
しかし、最初の一歩がなかなか踏み出せず、区切りというか何かを新しく始めやすい新年に思い切って始めました。
なんとか新年って感じの時期に始められ、ひとまず最初のハードルはクリアって感じです。

このblogでは、
僕自身の理想の医師像・医療界が抱える問題・医学生のキャンパスライフ・大学生らしい生活の一こま・・・・・etc
を中心トピックとして更新していく予定です。

こまめとは言えませんが、細々と長く続けるつもりです。

それではSumolovers をよろしくお願いします。